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第 十二話 無課金接待
さて、場面は営業部に戻ります。
「アイちゃん、ちょっといいかな」。糸電話の件以来、ウリノ課長をリスペクトすると心に決めたアイは、セクハラまがいのややぞんざいな呼び方に異を唱えることもなく、すくっと席を立ち課長の席に駆けつけました。「なんでしょうか?」「今週の木曜日は予定がある?」。えっ?と戸惑う間も与えず課長は「一緒に行ってほしいお客があるんだ」と続け、なーんだ出張かあ、と安堵したアイは「はい、喜んで」と答えました。
近代的なビルの玄関に入り受付の女性に応接室へと案内されると、課長は隣に座ったアイに「合図するまでは黙ってていいから」と不思議なことを言いました。やがて部屋に入ってきたのは購買部のカイ部長です。名刺交換した途端いきなり大物と面談することがわかり、アイは緊張しましたが課長が言った通り大人しく座っていることにしました。
やがてカイ部長とウリノ課長は部屋の壁全面に嵌め込まれた窓を見上げました。ふたりとも空を眺めたきり何も話しません。「仲が悪いのかなあ」。そしてそのまま2分間が過ぎました。するとカイ部長は「ウリさん、来たかな」と呟きました。課長は「そうですね。来ますね」とだけ答えました。もちろんアイには何のことやらわかりません。
「では始めますか」。やおら見積資料を机に広げ、課長はアイに合図をしました。アイはやや怪訝な表情を引きずりながらもきちんと説明を終えました。すると課長は「ありがとう。君はもう帰っていいから」「え」。やや拍子抜けしたアイはお辞儀をし部屋を辞しました。
翌朝、アイは課長に謎解きをしてもらいました。
実はカイ部長とウリノ課長は長年の釣り仲間。二人が見上げていたのはビルの屋上にたなびく社旗と雲の流れで、今日はどんな獲物が狙えるかと値踏みしていたのです。打ち合わせが捌ければビル脇の岸壁でなかよく糸を垂らすのがお約束。なので課長は部長に釣竿や仕掛けを預けているほど。
「すごい。無課金でそこまでできるんですね」「無課金?」「飲み会みたいにお金をかけなくても接待ってできるんだなあって」「おいおい、僕らは互いの趣味が共通してるだけさ」。さりげなく課長は答えますが、このお客と数十年も良好な関係が続いているのは確か。その背景に買い手売り手両ベテランの絆が関係していることは間違いないでしょう。
アイは「レトロ営業」の一端を垣間見たような気になりました。
わかっているの?と君は問う
わかっちゃいるさと俺は言う
たまにゃ、誤解もあるけれど
目合わせ、肩寄せ、歩いてく
2024年9月15日